September 28-29, 2006
カンヌでのお仕事も一段落。 次の仕事先アイルランドのダブリンへ移動前に週末はパリで過ごします。 その前に今まで行く機会がなかったロアール川流域の古城を訪れたく、トゥール(Tours)に宿をとりました。
この地図には高速道路しか載っていませんが右下のニース(Nice)の左にあるカンヌ(Cannes表示されていません)から、トゥーロン(Toulon),
マルセイユ(Marseille)、そして北上しリヨン(Lyon),を経て パリのリヨン駅。トゥーロンの手前からはノンストップでパリまでの所要時間はちょうど5時間でした。 そしてタクシーでモンマルトル駅に移動。
パリのモンマルトル駅から別のTGVに乗り換え南西のトゥール(Tours)までほぼ一直線で約1時間です。
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カンヌ駅に到着するTGV6174.国境の町Ventimiglia始発でパリのリヨン駅行きです。 |
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TGVはコートダジュールの海岸線近くを比較的ゆっくり走ります。 地中海の見納めです。 |
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海沿いのLes Arcs-Drauguignan(レ・ザルク・ドゥローギニャンって発音かな?)で停車すると、マルセイユにも停車せず、パリ までノンストップです。 徐々に速度が上がり、海が見えなくなると葡萄畑が広がりました。 |
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マルセイユ手前の街の名前不明の駅近くの城跡。 |
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リヨン駅です。 流石にTGVが沢山停車していました。 |
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右に見える Le Tarin Blue (ル・トラン・ブリュイ)は三ツ星のレストランです。 1977年に新婚旅行で来た時に、ここで夕食をとり 内部中央の番台のような高い椅子に座った女性が、あちこちのテーブルの食事の進行具合を見ながら、次の料理を出すタイミン グをさりげなくウェイターに指示しているのを発見し、感動した思い出があります。 その後、1981年に出張で立ち寄った時には、 既に日本語メニューがあり、日本人も沢山食事していました。 今回はモンマルトル駅に急ぐ必要があるのでパスです。 |
さて、この後、リヨン駅→モンマルトル駅間のパリ市内の乗り換えには1時間の余裕をみたのですが、運悪く、何かの政治デモのためあちこちの道路がブロックされ大渋滞で、タクシーがモンマルトル駅に着いたのが発車1分前。 エスカレーターに乗った時には既に発車ベルが鳴り終わろうとしていました。 30Kgの荷物を持っている私は既に諦めたのですが、なんと娘は荷物を持ってエスカレータを飛ぶ勢いで駆け下り、家内は大声で「待ってぇー!」(勿論、日本語)と叫ぶと、車掌さんが唖然としながらも待ってくれたのです。 娘がラッゲージで扉をブロックしてくれている間に、私もヨロヨロと荷物とともに放り込むことが出来ました。 今となっては笑い話ですが、そのあと車内を荷物を持って6両ほど移動したりで、汗だくでした。
トゥール(Tours)
トゥールの街は初めて訪れましたが、正直言って良い意味で驚きました。 田舎町だろうと高をくくっていたのですが、どっこい立派な地方都市です。 さすがにベルサイユ宮殿が出来るまでフランスの政治経済の中心地であっただけのことはあります。
特に旧市街は歩いていても楽しく大変好きになりました。
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予約していた席にたどり着いた時には既に郊外の牧場地帯。 |
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ツールに近付き減速した頃には、お城のような建物が見えてきました。 |
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トゥール駅。 ちゃんとしたターミナルです。 向こうに旧市街が見えます。 |
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ホテルから旧市街に歩いていく途中で見かけた教会。 |
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市庁舎。 とても立派な建物でした。 |
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サン・ガシアン大聖堂。夕陽を浴びてとても迫力がありました。 私にはパリのノートルダムより強烈な印象のゴシック建築でした |
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その内部 |
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ステンド・グラスも美しいものでした |
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外部横側 |
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トゥール城。 今は補修中でした。 |
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トゥール城近くのロワール川に架かる吊橋からの夕焼け |
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プリュムロー(Plumereau)広場のレストラン |
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プリュムロー広場 |
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